分子生物学– 分子生物学部門 –

ようこそ村上研究室へ

がんは日本人の死因の第1位を占める疾患ですが、長年の研究により様々な治療法が開発、実用化され、徐々に治る病気になりつつあります。これらの研究は、ヒトの身体の正常の仕組みを解き明かし、がんでの異常と対比させることで発展してきたもので、他の疾患研究にも共通する方法です。ヒトの身体は設計図であるDNAから、RNA、タンパク質、また代謝物が生成され、さらに、細胞、組織、臓器を経て人体が構成され、共生微生物や病原菌と協調、敵対しながら生き、その集団が人間社会を形作っているわけです。分子生物学は、これら正常とその破綻、異常の仕組みを分子レベルで解き明かす広大で深遠な学問です。当部門では、この中で、特にヒトのゲノム、エピゲノムなどの多層的生体情報を解析、統合して、がんや様々な疾患の理解と予防に役立てるゲノム予防医学の研究と、細胞と細胞の相互作用に着目したがんの診断、治療、また腫瘍免疫の研究を行っています。従来の実験科学としての分子細胞生物学と、進展著しい情報科学とを融合した先に、新しい疾患の理解に基づく予防、診断、治療法が生まれるものと信じています。

主な研究内容

多層的生体情報の統合による新規疾患予防デジタルツインの構築

日本は世界屈指の長寿国ですが成人の疾患罹患率が高く、医療費も膨大で大きな問題です。この解決には、発症前の疾患予防が最も有効です。日本は、従業員の健康診断を企業に義務付けている世界唯一の国で、貴重な健診データが蓄積されていますが、これまで十分には活用されて来ませんでした。また、現行の健診は効率の高い制度ですが、概ね画一的で、個人差に基づく疾患のリスク予測や疾患予防は、これからの課題です。一方で、近年のゲノム・オミクス科学、また情報科学の爆発的発展により、個々人の様々な健康データを取得することが可能となっています。そこで、これら大量の経時的データを、個人情報を保護した上で統合し、他の大量データと比較解析することにより、個々人の疾患リスクを予測するとともに、個々人のデータからデジタルツインを作成し、生活習慣等を仮想的に変化させることにより将来の健康状態をシミュレーションできるシステムを構築することが可能です。

我々は2019年から日本電信電話株式会社(NTT) と共同で、同社社員の同意を得て、健康診断情報とDNA多型情報を収集して疾患リスク予測や個別化予防を考える共同研究をNTTプレシジョン・メディシン社、東京大学医科学研究所と共同で実施しています。第1に個人情報の厳格な管理の下に、10万人を超える健診情報を収集、追跡する国内最大級の健常人コホートを構築整備すること、第2に健診情報にゲノム多型情報集、エピゲノム等のオミクス情報、生理学的情報等を統合し、個々人の精度の高い疾患リスク予測プログラムを構築すること、第3に高度情報解析により、個々人の将来の疾患予測、健康状態シミュレーションを可能とし、科学的な根拠に基づく個別化予防法を示すことを共同研究の目的としています。我々の研究室では、参加者同意を取得し、ゲノム多型情報、血液のエピゲノム(DNAメチル化)情報を解析し、様々な疾患へのなりやすさや健康年齢の新たな指標を明らかにする研究を進めます。5年後には、日本人が罹患しやすい30程度の主要疾患に対する個々人の罹患リスクや、対応する予防法を提示するプログラムを示すことを目指しています。(本研究はJST未来社会創造事業に採択され、支援を受けて実施しています。

JST https://www.jst.go.jp/mirai/jp/program/next-info/JPMJMI24H2.html )

細胞膜タンパク質の相互作用に基づく新規免疫チェックポイント分子の同定と阻害剤開発

我々は免疫チェックポイント (Immune Checkpoint; IC)を制御する受容体(免疫細胞側)とリガンド(腫瘍細胞側)の大部分が、免疫グロブリン・スーパーファミリー(Immunoglobulin Superfamily : IgSF)に属することに注目し、該当するヒトの300以上の分子の細胞外ドメインをクローニングし融合タンパク質を作成しました。そこで、ICに関わる既知のリガンドに対する未同定の受容体を、種々の物理化学的分子間相互作用検出法を用いて網羅的に解析し、同定する研究を進めています。これまでにICリガンドVSIG4に対するIC受容体としてSIGLEC7を同定しました。VSIG4はPD-L1との相同性が高いIgSFで、膵がん、胃がん、卵巣がん、神経膠腫、多発性骨髄腫などで高発現します。SIGLEC7はシアル酸を認識する免疫抑制性受容体でNK細胞、マクロファージ等に発現します。我々はNK細胞のICの解明と阻害剤の開発を目指して、抗VSIG4抗体、抗SIGLEC7抗体を作成し、抗腫瘍効果を検証中です。さらに、新規IC分子の同定と機能解析を進めています。

細胞接着分子CADM1を標的とする小細胞肺がんなどの診断、治療の研究

我々は2001年に、肺腺がん細胞のマウス皮下腫瘍形成能の抑制を指標として、IgSFに属するがん抑制遺伝子CADM1/TSLC1を同定して以来、その分子経路の機能と意義の研究を続けてきました。CADM1は多くの上皮細胞で接着と上皮様形態形成に関わり、その発現欠如は様々な進行がんで認められ、がん抑制遺伝子として機能します。一方、CADMは成人T細胞白血病・リンパ腫(Adult T-cell Leukemia/Lymphoma; ATLL)、小細胞肺がん(Small Cell Lung Cancer: SCLC)では高発現してがん遺伝子として働き、ATLLでは疾患の特異的診断に用いられています。また神経シナプス接着分子としても機能し、その異常は自閉症スぺクトラム等の精神・神経疾患に関連します。さらに精子形成に関わり、遺伝子欠損マウスは雄性不妊を示します。このように1つの分子が多様な機能をもち、その異常が様々な病態に関わることは非常に興味深く、IgSF分子群の重要性と奥深さを示しています。我々は現在、SCLC等の特異的診断マーカー、治療標的としての研究を進めています。